なぜ人は勉強する必要があるか?
前回は、少々司法試験について触れました。
今回は、なぜ人は勉強する必要があるかについて話したいと思います。
少々脱線しますが、私は、よく少年事件を担当しています。少年事件とは、弁護士にとっては、要は、未成年の初年が犯罪を犯した場合に、その少年を擁護することを内容とする仕事です。
その少年事件において、よく少年から、「勉強なんて社会に出て何の役にも立たない。」と言われることがあります。ある意味ではその通りです。
しかし、やはり、私は、人生において、勉強する意味はあると考えています。
以下、理由を述べます。
まず、勉強とは、体系化された学問の学習ですから、自ずと論理的な思考を身につける訓練という色彩を帯びることになります。この論理的思考は、たとえば、「悪さをすれば逮捕される。」という当たり前の命題を人に突き付けることとなり、人を悪事から遠ざけたり、犯罪の実行を思いとどまらせる手助けになるものです。これは、特に心身の未成熟な少年に有益に働くと思います。
また、勉強すれば、当然、いろいろな知識を得ることができます。そして、知識は、人々の人生をより豊かにしてくれると思います。例えば、旅行先でその旅行先の土地の文化や歴史を知識として知っていれば、遺跡を見る際の感動はより一層深いものとなるでしょうし、また、野球を観戦する際も、ピッチングやバッティングの理論について知っていればより面白く楽しむことができるでしょう。
もちろん、勉強それ自体は、苦痛の方が大きく、なかなかすぐに楽しむことは難しいかもしれません。しかし、目先の苦痛を堪えて勉強を続ければ、大きな恩恵を手にすることができると思います。
このことは、特に、今、反社会的な言動をしている少年達に言いたいと思います。