第16話 断たれた音
ここでは、日本の法律に依拠します。また、コロンボは殺人課の刑事ですので、当然、物語上の犯行はほとんど殺人となるため、ここでは、被害者の命を奪った犯行を中心に記載します。いわゆるネタバレが含まれていますので、お気をつけください。なお、あらすじや事件の背景については、コロンボブログの偉人であるぼろんこさんのブログをご参照ください。
⑴ 事案の概要
犯人は、エメット・クレイトン(以下「クレイトン」)で、プロのチェスプレイヤーです。
第一に、同じくプロチェスプレイヤーのトムリン・デューディック(以下「被害者」)をゴミ粉砕機に突き落とした行為(第1行為)について、殺人未遂罪が成立します。なお、結果として被害者は死亡していますが、被害者の死亡結果はクレイトンによる被害者の薬をすり替えるという別の行為(第2行為)から生じていますので、この第1行為は、殺人罪ではなく、殺人未遂罪が成立するにとどまります。
第二に、被害者の薬をすり替えて被害者を死亡させた行為(第2行為)について、殺人罪が成立します。
⑵ 有罪認定の可否
それでは、この事件が刑事裁判となった場合に、有罪と認定することができるかどうか検討していきます。
なお、クレイトンの工作したシナリオは、「被害者は、クレイトンとのチェスの試合の前夜、クレイトンとのチェスの勝負に負け、自信を失い、翌日の試合を放棄することとし、クレイトンに対して試合を放棄することについて謝罪文を差し入れ、鞄に荷物をまとめ、宿泊先のホテルを去ろうとしたところ、足を滑らせて、ゴミ処理機に転落してしまった。その後、被害者は、入院中に、クレイトンとは関係なく、原因不明で、死亡した。」というものです。
まず、物語の中で、クレイトンは、観念した様子を見せたものの、自白はしていません。そのため、裁判時においても自白がない前提とします。
次に、検察側の証拠としては、以下のものが考えられます。なお、括弧の中は、当該証拠から認定され得る事実です。
- 第1行為について
- クレイトンの身体検査調書(クレイトンは耳が不自由である)
- 補聴器業者スープリー・メディカル・サプライ商会担当者証言「試合当日、クレイトンは、補聴器のトランジスタの修理に来た」(第1行為当時、クレイトンの補聴器にはその後の修理を必要とする不具合があった)
- バリー・プラザ・ホテルのゴミ処理機実況見分調書、報告書
- (ゴミ処理機の稼働中は発生音の音量が大きい)
- (稼働中に中に物が落ちると安全装置が働き稼働が中止する)
- (稼働中止後はスイッチを入れることでゴミ処理機は再び稼働する→ア、イと相まって、犯人が被害者をゴミ処理機に突き落としたと仮定すれば、犯人は、なおも被害者の殺害を期す場合、ゴミ処理機の稼働中止後に再び稼働のスイッチを入れるはずである→それにもかかわらず犯人が稼働のスイッチを入れなかった以上、犯人は稼働音の有無を聞き分けられない耳の不自由な人物である→A、Bと相まって、犯人がクレイトンである可能性がある)
- レストラン店主証言「事件の前夜、被害者とクレイトンが2人で来店し、被害者が塩の瓶、クレイトンが胡椒の瓶を用いてチェスをしていた」
- 被害者作成のチェス日記、報告書(「黒が41手で投了」と記載されており、事件前夜被害者と何者かと勝負をして白が勝ったようである→Dと相まって、白を塩の瓶、黒を胡椒の瓶と考えると、被害者がチェスの勝負でクレイトンに勝った可能性が高い→クレイトンには、試合における敗北への恐怖から、被害者を殺害する動機があった)
- 謝罪文、その報告書
- (メモ用紙に記載されている)
- (署名がない)
- バリー・プラザ・ホテルの被害者の部屋1805室の実況見分調書、報告書(便箋は備え付けられているが、メモ用紙は備え付けられていなかった→Fと相まって、被害者が部屋内の便箋を用いなかったことは不自然である→謝罪文は被害者によって書かれたものでない可能性がある)
- クレイトンの所持していたペン、報告書(F謝罪文中に書かれた文字のインクとクレイトンのペンのインクが同じである→F、Gと相まって、謝罪文は、クレイトンのペンによって書かれた可能性がある)
- 被害者の遺体の実況見分調書(被害者は糖尿病であり、義歯だった)
- 被害者の愛用していた携帯チェスセット、その鑑定書(チェスセットは貴重で高価なものである)
- 被害者の鞄、実況見分調書、その報告書(鞄の中身に歯ブラシがあったものの、携帯チェスセットはなかった→I、Jと相まって、被害者は義歯なので歯ブラシを使うはずはなく、また、チェスセットを持っていかない可能性も低く、被害者自身が荷造りせず何者かが荷造りをした可能性がある)
- 被害者のコーチのマズール・ベロスキー証言「被害者は最強のチェスプレーヤーであり、クレイトンとの試合を恐れて逃亡することはあり得ない」
- 第2行為について
- クレイトンに関する報告書(クレイトンは記憶力が抜群である)
- クレイトンの元恋人で被害者のマネージャーのリンダ・ロビンソン証言「クレイトンに被害者の糖尿病の薬のリストを一瞬手渡し、その他の人物にはリストを見せていない」(Aと相まって、クレイトンが薬を記憶することが可能だった)
- サリバン医師証言
- 「被害者は、順調に回復していたが、日常の糖尿病の注射を打った直後に体調を崩した」
- 「最後に被害者に注射した薬は、病院の外から持ち込まれた薬である」(何者かが薬をすり替えた可能性がある→A、Bと相まって、クレイトンのみそれが可能であった)
物語上は1A、Cが決め手になっていますが、クレイトン以外にも世の中には耳の不自由な人はいますし、犯人が混乱してゴミ粉砕機が停止したことを気付かなかった可能性も否定できず、全体的に証拠は脆弱で、また、1D、Eの動機の立証も弱いです。
以上から、証拠が以上のものだけであれば、クレイトンの犯行それ自体を立証できず、本件は無罪となる可能性が高いでしょう。もし十分な証明を行うとすれば、クレイトンの自白を引き出したいところです。クレイトンは観念はしている状態であったので、物語のその後のコロンボら捜査担当者の取調べに期待するしかありません。
⑶ クレイトンの余罪
物語上の犯人の他の行為について、ほかにいかなる犯罪が成立するか検討します。なお、ほかの犯罪はメインの罪ではないので、証明できるか、有罪と認定できるか等については、割愛します。
- アステカ航空に対して被害者になりすましてメキシコシティ行き航空券を予約した行為について、アステカ航空に対する偽計業務妨害罪が成立します。
- バリー・プラザ・ホテルの被害者の1805室に侵入した行為について、住居侵入罪が成立します。
- 被害者になりすましてタクシーを配車させた行為について、タクシー会社に対する偽計業務妨害罪が成立します。
- バリー・プラザ・ホテルの被害者の1805室から被害者の鞄や封筒等を持ち去った行為について、窃盗罪が成立します。
- 鞄や封筒を盗むべくバリー・プラザ・ホテルの被害者の1805室に入った行為について、住居侵入罪が成立します。
- 被害者の薬をすり替えるべくバリー・プラザ・ホテルの被害者の1805室に入った行為について、住居侵入罪が成立します。
- バリー・プラザ・ホテルの被害者の1805室で被害者の薬をどうしたかについて、物語上不明確ですが、持ち去っていれば窃盗罪、廃棄していれば器物損壊罪が、それぞれ成立します。
⑷ 情状
上記のとおり、本件は無罪となる可能性が高いと思いますが、仮に有罪となった場合の情状について検討します。情状は、通常、犯行態様、動機、結果がどうであったかという観点で評価します。
- ア 第1行為について
- 犯行態様
ゴミ処理場へ突き落すという危険な行為を犯しており、大変悪質です。 - 動機
動機は、チェスの勝負で被害者に敗北してしまったことを隠蔽したい、自信を失い被害者との試合を避けたい、それにもかかわらず自身のチェスプレーヤーとしての栄光は保持したいという虚栄心に満ちた犯行であり、自己中心的で、大変悪質です。
- 犯行態様
- 第2行為について
- 犯行態様
被害者にとって必須な糖尿病の薬をすり替えるという危険な行為を犯しており、大変悪質です。 - 動機
第1行為の動機に加え、第1行為を隠蔽しようとした犯行であり、自己中心的かつ狡猾で、大変悪質です。 - 結果
死因は、物語上明らかにされていません。
- 犯行態様
以上のとおり、少なくとも、第1行為、第2行為ともに犯行態様と動機は悪質ですし、余罪も多いです。有罪と認定されれば、量刑は厳しいものとなるでしょう。
⑸ その他の犯人への制裁
- 被害者に遺族がいれば、遺族から、民事上の損害賠償を請求され、支払わなければならないでしょう。
- 日本の場合、日本チェス協会なるものがあり、そこの会員のみが公式戦をできるようです。そして、同協会の会員規約には、チェスプレーヤーとしての名誉を傷つける事由があった場合除名される旨の規定があるようです。クレイトンも、これによれば、チェス協会を除名され、公式戦が出来なくなり、事実上チェスプレーヤーとしての生命は断たれるでしょう。
- 被害者との試合はテレビ放送が予定されていたようですが、クレイトンの犯行によってこれが中止となったため、テレビ会社やスポンサーから民事上の損害賠償を請求され、支払わなければならないでしょう。
⑹ 備考
コロンボがクレイトンの置き忘れたペンを無令状で試し書きした行為については、そもそもクレイトンが置き忘れていたこと、試し書きによって被るクレイトンの不利益がごく小さいと思われることから、任意捜査として適法と考えます。
⑺ クレイトンはどうすればよかったか
試合前夜の被害者とのチェスの勝負に負けたとしても、試合本番は翌日なのですから、そこで勝利するべく正々堂々と試合に臨むべきでした。仮に試合本番で負けてしまったとしても、機会はまたあるでしょうから、再試合に向けてチェスの腕をより磨いて再起を期すべきでした。